2014年2月23日日曜日

論文をハイパーテキストで書いてみたら、の話。

最近構成員の海外遠征とかもあって、停滞しているところでもあるのですが、
ここ最近哲学書の読書会なるものをですね、ルームメイトその他何名かでやってるんですね。

テクストはフッサールの「論理学研究」。

なんでフッサールになったかっていうと、

僕自身は計算機科学やら、数学やら、物理学やら、それ自身も大した知識ではないけれど、割と超理系です。というか、理系の中でも、理論好きです。(一言に理系と言っても、理論方面の人と、実証方面の人で大分精神性違うのです。)でしかも、言語とか、認知科学とかに興味があるから、当然哲学も好きなんですわ。

読書会の発起人たるzweiくんは、ドイツ語の勉強をしていて、その根底には、哲学、文学の興味があるらしいんだ。研究のテーマはドイツロマン主義?関連。僕の中では、"ザ・ハードコア・人文屋さん"。


二人共哲学好きなのは変わらないんだけど、その哲学というジャンルが多様化していくのと歩調を合わせるように、より現代的な思想に近づくほど、二人の普段興味がある思想は結構離れているんですね。



そんなこんなで、ロマン的なものと、論理的なものの中間点として位置する、20世紀初頭という哲学史的にも分水嶺に当たる時期の、このテクストが一応選ばれたみたいなんですよ。




さてさて、僕自身は哲学が本業でもないし、ドイツ語が読めるわけでもないから、基本的には丸腰で、書に当たるわけですな。
これが難しいのなんの。

普段本当にヌルい文章(リーダビリティが高い、という意味ではいいことだけど)しか読んでいないんだな、ということを痛感いたす次第でありまして、

文と文の、単語と単語の、接続、修飾関係をきちんと追いかけないと、

本当に弾かれるように、まったく頭に入ってこない。

なんとか、受験時代に培った、現代文の分解のノウハウと、普段のマーケットリサーチの際の資料収集のノウハウなど、総動員して読み進めて行くわけですが、


僕自身はどうやって読み進めてるかって言うと、
普段やってることの延長か、どんどんデジタルな文書にしていくわけですわ。
ていうかGoogle Driveにどんどんドキュメントを作っていくんですわ。Google様様ですわ。

まず全体の文章を文字起こしして、わからない単語や、意味不明なつながりを分解して、自分の言葉で換言して、と。

そんで、哲学史の体系みたいなものが僕の頭の中には本当に霞ほどしか入っていないので、どんどんその文書作成の隣でブラウザで調べ事するわけです。Wikipediaとか。

で、単語や、文書内に、どんどんリンクを貼っていくの。



まぁ僕は学者ではないので、特に深い論文とか書かないわけですよ。

だから、別に論文の新しい形態がどうのこうのとか、考える必要ないんだけどね、

論文とか、ハイパーテキストで書けばいいと思うんですよ。


科学系の論文じゃない時に、それを読もうとするとき一番の障害になるのって、そこで使われるタームや概念が、読者側にある程度の水準以上のものが求められてるからじゃないですか。


そういうの、リンク貼れば、全部あとはWeb全体の無責任な情報に、任せられる。


いや、そこの責任の担保のために、きちんと論文の引用のプロトコルが決まってるのは判るんだけど。

本来の学問の本質って、「考える」ことのほうにあるのであって、でしかも、なるべくその参入障壁は低いほうが、学問全体の有用性は上がっていくわけじゃん。

で、間違った理論見たいのが流布するとしても、それは自然淘汰的に、改善されていくわけで。




そんなことを最近考えております。

こんなのもあったよ。

http://tractatus-online.appspot.com

のような試み、もっと積極的に取り入れてもいいかもね、的な。

んちゃ

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